仲冬は、冬の三ヶ月を初冬、仲冬、晩冬と分けたときの間の一ヶ月で、ほぼ十二月にあたります。
二十四節気では大雪、冬至の期間(十二月七日頃から一月六日頃)になります。
今回は冬の時候の季語のなかでも、仲冬に分類される季語を集めました。
三冬の時候の季語
初冬、十一月の時候の季語
晩冬、一月の時候の季語
時候
仲冬(ちゅうとう)
仲冬
冬を初冬、仲冬、晩冬と三期に分けた中間の一か月。
陽暦のほぼ十二月にあたる。
陰暦十一月の異名。
- 仲冬の水豊かなる池日ざし 志田素琴
十二月(じゅうにがつ)
仲冬
一年の最後の月、いよいよ十二月の声を聞くと、どこか慌ただしく気が急かされるものである。
本来、陰暦十二月をいう「師走」が陽暦十二月のことにも使われるのも、忙しい一年の最後の月だからであろう。
- 炉ほとりの甕(かめ)に澄む日や十二月 飯田蛇笏
- 人込みに白き月見し十二月 臼田亜浪
- なき母を知る人来り十二月 長谷川かな女
- はかり売る秤(はかり)しきりに十二月 鷹羽狩行
- 棚吊ればすぐ物が載り十二月 岡本差知子
霜月(しもつき)
仲冬
陰暦十一月の和名。陽暦のほぼ十二月頃にあたる。
冬の寒さも本格的になり、自然界は霜枯れる時期である。
- 霜月の晦日よ京のうす氷 言水
- 霜月の川口船を見ぬ日かな 藤野古白
- 後山へ霜降月の橋をふむ 飯田蛇笏
- 雪待月林はもののこゑ透る 加藤楸邨
- 霜月の苔のまみどり門跡寺 大橋敦子
大雪(たいせつ)
仲冬
二十四節気の一つで、立冬、小雪の後、十二月七日頃。
雪も降り本格的な冬の寒さが襲来する。
冬至に向けて、日の暮れるのがますます早くなり、夜は長くなってゆく。
冬至(とうじ)
仲冬
二十四節気の一つで、立冬より四十五日後、十二月二十二日頃。
太陽の南中高度が最も低く、昼が最も短い日である。
この日を境に日が長くなってくるので、一陽来復という。
この日に柚子湯に入ったり、南瓜やお粥を食べる習慣がある。
- 行く水のゆくにまかせて冬至かな 鳳朗
- 吊りて干す魚の尾ほそき冬至かな 長谷川春草
- かんばしき薬のみたる冬至かな 増田龍雨
- 机上なる冬至うす日に手を伸ぶる 皆吉爽雨
- あやまたず沈む冬至の日を見たり 後藤夜半
- 暖かに冬至の宵を小買物 星野立子
朔旦冬至(さくたんとうじ)
仲冬
十九年に一度ある陰暦十一月一日が冬至にあたること。
めでたいこととされ、古くは天皇が盛大な行事を催した。
近年では1995年、2014年に朔旦冬至となった。2014年の十九年後は2033年であるが、この年はずれがあり冬至と朔日が一致しないため、その次は2052年となる。
- 雨ながら朔旦冬至ただならね 召波
師走(しわす)
仲冬
陰暦十二月の異称だが、陽暦の十二月にも用いる。
僧侶が走り回るほど忙しくなるからという説、「為果(しは)つ月」(一年の終わりの月)からという説などがある。
(なお「師走坊主」という言葉があるが、歳末は忙しく施しが減るために落ちぶれた様子をいう。)
- 世に住まば聞けと師走の碪(きぬた)かな 西鶴
- 何に此の師走の市に行く烏 芭蕉
- 酔李白師走の市に見たりけり 几董
- 夜は月に橋あらはるる師走かな 蓼太
- 極月の径ひとうねり草に消ゆ 佐野青陽人
- 風しずまりし極月の林かな 石原舟月
- 羊歯(しだ)たれて極月の巌静かなる 今村霞外
- 波しろき海の極月来りけり 久保田万太郎
節気(せっき)
仲冬
本来は各季節の終わりのことであるが、お盆と年の暮れの勘定期のことになり、季語としては年の暮れの勘定期のことをいうようになった。
江戸時代には掛売り(ツケ)で買い物をし、お盆と暮れに代金をまとめて支払った。
節気勘定の人々が慌ただしく行き交うのも年末の風景だった。
- 牛乳の膜すくふ節気の金返らず 小野田兼子
年の暮(としのくれ)
仲冬
十二月になってから、また年末押し迫ってからも言う。
十二月も半ばを過ぎクリスマスも過ぎると、今年もいよいよ終わり正月も近いと感じさせられる。
- 玻璃窓を鳥ゆがみゆく年の暮 西東三鬼
- 紙屑をもやしてゐても年の暮 細見綾子
- 年の瀬の日の移りゆく雑木山 鈴木六林男
- 父逝きしこの年の瀬の青き空 田中鬼骨
- 小鳥屋は小鳥と居たり年の暮 林翔
数へ日(かぞえび)
仲冬
今年もあと幾日と、指で数えられるほどの日を残すのみになった、という実感のこもった季語。
- 数へ日の雁の堅田に鴨の数 森澄雄
- 数へ日の松風をきく齢かな 勝又一透
- 数へ日となりつつ夜々を月そだつ 太田嗟
- 数へ日の谷に遊べり鷺とゐて 外川飼虎
年の内(としのうち)
仲冬
その年の終わりが近づき、残すところあと幾日かという頃。
「年の暮」ほど押し詰まった感じはなく、いくらか余裕がある。
- 漸に寐処できぬ年の中 土芳
- 海苔買ふや年内二十日あますのみ 田中午次郎
- 郵便夫の雨除けてゐる年の内 広田充
- 年の内無用の用のなくなりぬ 星野麥丘人
行く年(ゆくとし)
仲冬
年の暮よりも、この一年の歳月の終わりを惜しみ、過ぎた日々を振り返るような気持ちがこもった語。
昔は年の終わりは、冬の終わりでもあった。
- 行年や同じ事して水車 希因
- 薮先や暮行く年の烏瓜 一茶
- 年を以て巨人としたり歩み去る 高浜虚子
- 年歩む雪おほかたは車馬に消え 中村汀女
- たちいでて年浪流る夜の天 飯田蛇笏
小晦日(こつごもり)
仲冬
大晦日に対して、その前日をいう。
晦日は陰暦で「三十日(みそか)」のことなので、小晦日は十二月二十九日のことであったが、陽暦十二月三十日にも転用していうようになった。
- 翌(あす)ありとおもふもはかな小晦日 蝶夢
- 誰も来ず暮れてしまひぬ小晦日 村山古郷
- 小晦日座り込みたる社月 牧野麦刄
大晦日(おおみそか)
仲冬
十二月の末日、一年の最後の日。
陰暦では十二月三十日(大三十日、おおみそか)だが、陽暦では十二月三十一日。
大晦日(おおつごもり)という言い方は、「月隠(つきごもり)」の略で、陰暦では月が最も隠れる日であった。
- 大年の富士見てくらす隠居かな 言水
- 大晦日定なき世の定かな 西鶴
- 乳のみ子の声にくれけり大晦日 調古
- 大年の両国通ふ灯かな 内藤鳴雪
- 掃かれざる道も暮れけり大晦日 今村俊三
- 大晦日地のいづこから夕雀 野竹雨城
年惜しむ(としおしむ)
仲冬
十二月も半ばを過ぎ、今年も残り少なくなった頃の感慨。
この年の出来事をいろいろと思い出し、さまざまな思いが去来する。
かつては正月が来ると皆一歳年をとったので、年齢を惜しむ思いも込められていた。
時の流れの速さ、光陰矢の如しを身にしみて感じる頃である。
- 湖を見てきし心年惜しむ 高野素十
- 年惜むにあらざるまたも年かさね 八幡城太郎
- 離れ住みて一つの年を惜しみけり 上村占魚
- ゆく年を惜しむ長巻山水図 森澄雄
- 年惜しむ程のよきことなかりけり 松崎鉄之介
- 大海の端踏んで年惜しみけり 石田勝彦
年越(としこし)
仲冬
大晦日の夜から元日へと、旧年から新年に移ること。
年越しそばを食べたり、除夜の鐘を聞いたりする。
またかつて立春を新年と考えていた昔は、立春の前夜、節分の夜のことを年越といった。
- 年こしや余り惜しさに出てありく 北枝
- 年越や几の上に母の銭 石田波郷
- 寺ふかく大満月に年移る 中川宋淵
- 年越や使はず捨てず火消壺 草間時彦
- 一途にも年越えぬ母死を越えぬ 馬場移公子
- 見なれたるものにも年の移るなり 有泉七種
- 年を越す大きな錨卸しけり 小田黒潮
年の夜(としのよ)
仲冬
大晦日の夜のこと。
一年の最後の夜であり、新しい年への境目。
除夜の鐘とともに一年が終わり、新年を迎える。
- 年の夜やもの枯れやまぬ風の音 渡辺水巴
- 年の夜の次の間ともし寝ねにけり 佐野青陽人
- 夕焼消え除夜大空の汚れなし 池内友次郎
- ひとひとりこころにありて除夜を過ぐ 桂信子
- 埋火のごとき憶ひも年の夜 伊藤雪女
- 一ケ寺に坂一つづつ除夜の雪 小鷹ふさ子
大呂(たいろ)
仲冬
陰暦十二月の異称。
大呂とは、中国の音楽で十二律の第二律で、基音の黄鐘(こうしょう)より一律高い音である。
この大呂が十二月に配されるところから、十二月の異称となった。