子供の頃、節分の夜に鬼は外、福は内と言いながら、家族で豆をまいた思い出がある方も多いのではないでしょうか。
豆まきを終わった後、年の数だけ豆を食べるのですが、美味しくていつも年の数より多く食べていました。
翌日に部屋のあちこちから豆が出てきたり、庭や家の前の道に落ちている豆を食べに、鳥たちがたくさん来ていたのを思い出します。
節分の日、千葉県の成田山新勝寺や、東京浅草の浅草寺では、著名人による豆まきが恒例となっています。
奈良市の春日大社では春日大社節分万燈籠が行われます。
そして節分が終わればいよいよ立春、暦の上では春を迎えます。
ようやく春が来るという期待を込めた節分の季語にはどんなものがあるか、見ていきましょう。
2日になるのは、1897年(明治30年)以来、124年ぶりのことでした。地球が太陽の周りを一周する時間を一年としていますが、一周するのにかかる時間は365.2422日。4年に一度の「うるう年」に、一年を366日にして調整しますが、うるう年のたびに約45分遅れていきます。それが400年たつと約3日分に増えるので、うるう年を400年に3回減らして調節します。2020年のうるう年の調整によって、2021年の節分が2月3日の24時間以内に収まらなくなり、2月2日となりました。
次に節分が2月2日になるのは、次のうるう年の翌年の2025年。
しばらくは4年に一度のうるう年の翌年の節分は、2021年のように2月2日になります。
時候
節分
晩冬
季節の移り変わる時という意味で、冬から春への変わり目、立春の前日をさすようになった。
- 節分に空も豆うつ霰(あられ)かな 作者不知(出典・毛吹草)
- 節分は我年とひに来る子かな 猿雖(えんすい)
- 節分や肩すぼめゆく行脚僧 幸田露伴
- 節分の豆少し添へ患者食 石田波郷
- 節分や海の町には海の鬼 矢島渚男
冬尽く(ふゆつく)
晩冬
三ヶ月の冬が終わること。長く暗い冬から解放される喜びがある。
- 雨にうたす植木一鉢冬終る 村山古郷
- 赤松の根に蟇(ひき)がをり冬了る 原けんじ
行事
追儺(ついな)
晩冬
禍(わざわい)を追い払うという意味。
暴れる鬼を追い払う行事で、中国から伝わり大晦日の宮中行事になったものが、神社や寺院に広がり二月の節分に行われるようになった。
矛と盾、桃の弓と葦の矢で鬼を追い払う。
- むつまじや追儺の宵の人の声 才麿
- 追はれてや脇にはづるる鬼の面 荷兮
- 姿ある鬼あはれなり鬼やらひ 三橋敏雄
豆撒(まめまき)
晩冬
節分の夜に行う、追儺の豆撒きのこと。
鬼は外、福は内と連呼しながら豆を打って鬼を追い払う。
豆まきの豆は炒った大豆を用い、豆撒きの後、自分の年齢の数(または一つ多く)を食べる風習がある。
- かくれ家や歯のない口で福は内 一茶
- あたゝかく炒られて嬉し年の豆 高浜虚子
- 恐るべき八十粒や年の豆 相生垣瓜人
- 福豆のこぼるゝ帯を解きにけり 竹内万紗子
柊挿す(ひいらぎさす)
晩冬
節分の夜、柊の小枝に鰯の頭や豆殻を串刺しにして、魔除けとして門口に掲げる風習。
鰯のほかにもネギやらっきょうなど、臭いのするものを挿す地方もある。
江戸時代には柊売りがこれを売り歩いた。
- 門にさしてをがまるるなり赤いわし 一茶
- さし柊わづかに雪をいたゞける 清原枴童
厄落(やくおとし)
晩冬
厄年にあたる人が、神社に詣でて厄払いをすること。
薪に姓名、年齢、干支を書いた厄の薪を神社で燃やしてもらったり、参詣する道すがら櫛やかんざしを辻に落として厄落とししたりする風習がある。
- 何物かつまづく辻や厄落し 高浜虚子
- 厄捨てし戻り声するめでたさよ 阿波野青畝
厄払(やくばらい)
晩冬
節分の夜に、「厄払い、おん厄払いましょう」と声高に言って回る門付(かどつけ)がいた。
これを厄払という。
厄年の人のいる家で呼び止めて、紙に豆と銭を包んで渡すと、祝言の唱え言をした。
- 厄払ひあとは隈(くま)なき月夜かな 蓼太
- 厄はらひ余りに下手もおもしろき 言左
おわりに
立春の前日、節分の日に恵方を向きながら無言で太巻き寿司を丸かぶりすると縁起が良いとされる。
節分の頃から咲き出すのでその名がつきました。